◆タイ古式マッサージとの出会い
私自身の経歴からお話ししますが、大学卒業後はアパレルメーカーに就職し、数年後にファッション関係の販売会社を立ち上げ、50~60人のスタッフを抱えて、調子に乗っていた頃がありました。まだ、いい時代でしたから、社員旅行や社内パーティも盛大にやっているような感じでした。バブルは終わっていましたが、まだまだ国内経済に力があった時でした。10年以上に渡って順調に会社を経営してしてきたつもりでしたが、ある時急に従業員の不祥事が明るみとなり、突然に会社を存続することができなくなりました。従業員のやらかした不祥事とは言っても、当然のことながら経営者は管理責任を問われます。結局、管理不行き届きということで、私自身も路頭に迷うこととなりました。銀行への借り入れやら賠償やらで、てんてこ舞い。あいつのせいで人生を狂わされたと文句を言っても始まらないですし。今考えれば、半ばうつか自律神経失調症だったのだろうと思います。なんとなく体調不良で気分がすぐれない、何もやる気が起きない。あわよくば、死んでしまったほうが楽かも?そんな廃人のような毎日続いていました。
ある日、タイ旅行で受けたマッサージをふと思いだしました。「あのマッサージは本当に気持ち良かったからまた受けたい。」単純にそんな感じでした。ところが、日本では受けられるところがなかったので、とりあえず、タイに行ってしばらくゆっくりすることにしました。もうやけくそ人生ですから、タイでは毎日のようにマッサージを受け続け、遊び呆けていました。そうしたら、徐々に元気を取り戻していくことができました。不眠症気味だった私もマッサージを受けると眠ることができました。顔のブツブツもなくなり、顔色も良くなりました。慢性的な腰痛もなくなり、お通じも良くなりました。もうすべてを投げたしたいと思っていた私に元気をくれたのがタイ古式マッサージでした。
バブル崩壊は一応1991年ということにはなっていますが、実際に消費者の感覚が変わってきたのは90年代半ばあたりではないでしょうか?そして、そこから10年くらいの時間をかけて、企業がどんどん倒産に追い込まれていった時代でしたから、自殺者もとても多かったように思います。私以外にも同じように苦しんでいる人がたくさんいるなら、このマッサージをぜひ受けてもらいたいと思うようになりました。勝手に使命感みたいなものが湧いてきて、よしこれなら、人の役に立てる!と一大決心をしてタイ古式マッサージに没頭するようになっていったのです。それまでは、自分の金もうけのことしか頭になかった私ですが、辛いことがあると不思議と人は変われるものです。
とにかく、毎日2回~3回はマッサージを受けるようにしました。朝起きてマッサージ屋に行って、昼間は適当に過ごして、夜寝る前にはマッサージ屋にまた通う。そんな感じでした。もちろん、スクールにも行きました。しかし、どのスクールも所詮、外国人相手のオプショナルツアーみたいなものでした。大きな教室に数十人生徒をぶち込んで、遠目からデモを見ながらレッスンさせるようなやり方です。これで、できるようになるのか?とても疑問を持ちました。力加減やフィーリング、タイミング、呼吸や拍動との関係、ストレッチがどの筋肉にアプローチしているのか、何の意味を持っているのか、なんで個の順番でやらなければならないのかなど、全くわかりませんでした。
多少なりとも、タイ語がカタコトで話せた私は、上手なセラピストを見つけては、「教えてください!」とお願いし、個人的にお金を払ってマンツーマンで教えてもらうやり方に切り替えました。辞書を片手になんとかコミュニケーションをとりながら、疑問点を徹底的に片っ端から解決していきました。このときは大分お金を使いました。数百万は使ったでしょうか。でも、自分が納得するまで理解するには、それなりのお金と時間が必要でした。
今度は、逆の疑問が湧いてきました。たまたま私はタイ古式マッサージで元気になれたけど、他にもっと良いマッサージがあるのかもしれない。そう思った私は日本に帰国することにしました。それからは、クイックマッサージや整体をはじめ、カイロやレイキヒーリングなど、ありとあらゆるマッサージやヒーリングのセラピーを受けまくりました。そのくらい馬鹿みたいに時間とお金を費やすと色々わかってくるものです。自分で試さないと納得できない性分の私は、こういう流れでタイ古式マッサージの素晴らしさにどんどんはまっていきました。
まだ、日本にはタイ古式マッサージなる施術法は全く知られていなかったので、私はこの素晴らしいマッサージを日本に紹介したいと思い、最初に行ったのがホームページでタイ古式マッサージを紹介するところからでした。パソコンも不慣れだった私は連日夜な夜な人差し指一本でホームページの制作を行いました。(ちなみに今も指一本打法です。)
そして、次に行ったのが、協会の設立でした。協会を立ち上げようと思った理由は、多くのセラピストが独立開業して生計をたてられるようにしなければ、このマッサージは絶対に広まらないと考えたからでした。現在のTTMA(特定非営利活動法人日本トラディショナルタイマッサージ協会)の前身ですが、未だ民間団体としてスタートしようと準備していたした頃の話です。自分一人では心もとないと感じた私は、整体の先生など、色々なマッサージ関係の人たちにメンバーになってくれるようにお願いに行きました。その場では、みなさんニコニコしていましたが、数日経ってから、「やはり、冒険できない」とか、「リスクが大きすぎる」からという理由で全員に断られたのも、今思えば笑い話です。結局、たったひとりで協会を名乗って立ち上げることになった民間団体ですが、(詐欺みたいな話ですが)、やはり、2000年当時の逆風は想像以上でした。「国家資格持ってなければマッサージできないはずだろ!」とか、「風俗なんじゃないのか?」とか。「新興宗教じゃないか?」とか。「お前殺すぞ!」とかいうメールもありました。
それから、東京渋谷区で、スクールとサロンを立ち上げました。もともとオフィスとして使っていた富ヶ谷のビルをちょこっと手直ししてオープンさせました。2階と3階をタイ古式マッサージのスクール「日本ヌアボーランスクール」として。地下1階と地下2階をサロン「ヒーリングスペースムウ」としてオープンさせました。
正直に書きますが、このビルはまだ調子に乗っていた時分に、銀行から一億円も借りて購入したビルでした。当時は、まだ元本が8800万円も残っていたのです。ですから、必死でした。もちろん、不動産会社経由で売りに出しました。このビルが売れるのが早いか。それとも、スクールやサロンが軌道に乗るのが早いか。一世一代の大勝負です。運は天任せでした。ビルの視察には、何人か内覧に来ました。テリー○○さんとか、ジャニーズ系のタレントさんとかもいました。ある時、3階のスクールの教室に、感じの悪い不動産屋さんが土足でずかずかと入ってきました。偉そうな立ち振る舞いでとても感じの悪いしゃべり方をするあんちゃんみたいな不動産屋でした。残念ながら、何処の不動産会社だったかは覚えてませんが、とにかく不愉快でした。私は、とっさに「やっぱり売らないから帰れ!」と言ってしまいました。「あちゃー、やっちまった!」と思いましたが、仕方ありません。それで、ビルの売却はなしになったというわけです。
それでも、サロンには、最初は誰もお客がきませんでした。毎日、あせってました。お金もなかったので、手書きでチラシを作って、白黒コピーしたものをひたすら毎日ポスティングしました。雨の日も風の日も毎日毎日ひたすら配り続けました。そしたら、徐々にお客様が来るようになってきました。夜中だろうが、明け方だろうが、お客様が来てくれるのが嬉しくて、断らずにひたすらマッサージを続けました。夜中4時に予約の電話がかかってきて、「今から3時間受けたい!」と言われたので、「もちろんお受けします!」と答えたら、「あんた、キチガイだろ。」と笑われたこともありました。そのうち、チラシをカラーコピーに切り替えたら、お客様が「良かったね!少し余裕が出てきたね!」と笑ってくれました。懐かしい思い出です。
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